長いことレッスンに伺っているある生徒さんは、ご自分で学習塾を経営されている方で、同じ先生という立場のためよく「教育」の話題で盛り上がります。
フルートを教えていて、うまく問題解決出来ることばかりではありません。自分には経験のない症状をお持ちの方もいますし、なかなか練習してきていただけない方もいます・・・(やはり練習ってある程度は必要ですけれど、お忙しい方もいますしね)。しかし、それらのさまざまな問題が発生するのをただやり過ごすのでは何も変わらない…。そういう時こそ、私自身のアプローチを変えなければならないということを最近強く思うようになりました。
その生徒さんは言っていました。「教育は愛」だから、と。ネットで映像を見たり、通信教育を受けたりして勉強出来る子は稀で、多くの子は人の温度のある授業を求めているんだ、と。
フルートのレッスンも同じだと思います。フルートを自由に吹けるようになることも大事な目標ですが、それより何より、音楽を通じた人と人とのコミュニケーションが最も大切なことだなぁと再確認しました。
「教える」なんて言い方は偉そうで嫌ですが、本質はそこにあるのだと思うと、「教える」のも悪くないなと思ったり。一緒に音楽がしたい。それに尽きるのです。
一方で、「教えすぎは教えなさすぎるよりも悪い」なんてことも聞いたことがあります。これもマイブームの禅の教えみたいだなと思うのですが。 私は楽器がうまく鳴らせなくて悩みに悩んでいた頃、その時習っていた先生から具体的なアドバイスがもらえず、やきもきした経験がありました。上唇に力が入っていると、ひたすら指摘されるだけ。そんなことは本人も自覚していますよ。しかしどうしたらいいのかを言ってくれない。これは当時は大変なストレスでした
けれど、そのおかげ?で私は自分で解決策をひたすら探し続けるという行動をとりました。結果的に、その時の悩む気持ちや苦しみを知り、そして問題解決力がつきました。結果オーライですが、その時は本当に辛かった・・・。先生がそこまで考えて何も言わなかったのか、解決策が浮かばなかっただけなのか、それは不明です。
禅は科学とは正反対の立場です。科学は実験して予測を立てたり、科学的に立証、なんてことをします。禅の考え方は、本当に簡単に言えば、知ろうとしないでとにかく体験せよ。教師はつい教えすぎてしまうことがありますが、それが本人のためにならない可能性があるわけです。生徒が体験の中で自分で悟れるように、その道筋を作ってあげる・・・これが、楽器を始めとする先生のやるべきことなのだなと。
来週は学校の先生をしている大学の同期の子と会う約束をしているので、また意見交換をしたいなぁと思っています
一方で、「教えすぎは教えなさすぎるよりも悪い」なんてことも聞いたことがあります。これもマイブームの禅の教えみたいだなと思うのですが。 私は楽器がうまく鳴らせなくて悩みに悩んでいた頃、その時習っていた先生から具体的なアドバイスがもらえず、やきもきした経験がありました。上唇に力が入っていると、ひたすら指摘されるだけ。そんなことは本人も自覚していますよ。しかしどうしたらいいのかを言ってくれない。これは当時は大変なストレスでした
けれど、そのおかげ?で私は自分で解決策をひたすら探し続けるという行動をとりました。結果的に、その時の悩む気持ちや苦しみを知り、そして問題解決力がつきました。結果オーライですが、その時は本当に辛かった・・・。先生がそこまで考えて何も言わなかったのか、解決策が浮かばなかっただけなのか、それは不明です。
禅は科学とは正反対の立場です。科学は実験して予測を立てたり、科学的に立証、なんてことをします。禅の考え方は、本当に簡単に言えば、知ろうとしないでとにかく体験せよ。教師はつい教えすぎてしまうことがありますが、それが本人のためにならない可能性があるわけです。生徒が体験の中で自分で悟れるように、その道筋を作ってあげる・・・これが、楽器を始めとする先生のやるべきことなのだなと。
来週は学校の先生をしている大学の同期の子と会う約束をしているので、また意見交換をしたいなぁと思っています