ご無沙汰しております。
学生にレッスンしていると、自分が学生だった頃にどんな風に悩んだとか、考えたとかいうことを思い出します。フレーズの途中でやむなくブレスを取るときに、どうしたら不自然にならないかとか、マルカートってどうしたらそう聞こえるのか、などなど…。そういう細かいことだけではなく、良い音・響きって何か、とか(これは今でも考えますが)、ありとあらゆることです。しかしなによりまず、音符を読むということを分かっていなかったんだなぁと思います。
学生に多いのはいわゆる「棒吹き」。音もリズムも正しく読めるようになったけれど、音に命がない。というと大袈裟かもしれないけれど、でもそういうことだと思います。
私も受験生の頃は、楽譜を読んで音を吹くときに、書いてあるアーティキュレーション(簡単に言うとスラーやスタッカート)、強弱…そういった情報をもとに、音符に「脚色」する感覚に近かったのかなと思います。最初はそれでも良いのかもしれないけれど、教えながら改めて思うと、その感覚はだんだんと変わっていたようです。
音楽をやっていると、よく「音の方向性」という言葉を耳にします。しかしこの言葉を、学生時代の私は漠然としか分かっていませんでした。今の私の考える「音の方向性」とは、きっと音が一つ一つ持っている気持ちなのではないかと思います。ざっくり言えば、「次の音に繋がりたい」のか、「終えたいと思っている」のか。それだけではなくて、いろいろな気持ちや意思があります。「楽しい」「悲しい」「怒り」「嬉しい」「ゆったりしたい」「急ぎたい」…「上に行きたい」「下に行きたい」…「動きたくない」というのもあるかもしれません(笑)
それぞれの音が持っている気持ちや意思を、譜面から「感じる」。これが、音符を読むということなのかなと。そのために、譜面の情報だけでは足りなければ他にも文献を読んだり、関係する作品を紐解いてみたり…。
無理やり脚色して表現するのではなく、その音がどうしたいのか感じ取る、その感度を上げていけるように、学生に促せたら良いなぁと、今日のレッスンを終えて思いました。
まだまだ引き出しが足りませんので、私自身にも終わりなき努力が必要ですが。。。「音に命を与える」ことが出来るのは、書いた人、聴く人ではなく、演奏者。とても貴重で大切な役回りです。